富岡製糸場@群馬-世界遺産になった工場を見学してきた!
群馬県にある富岡製糸場。2014年、世界遺産に登録された工場です。日本の近代化に貢献した価値ある建造物を、歴史音痴の私でもガイドさん付きで、楽しんで巡ることができました。
外観

2015年6月29日(月)、群馬県の富岡市にある「富岡製糸場」を訪れました。
概要
名称 | |
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住所 | 370-2316群馬県 富岡市 富岡 富岡製糸場 |
定休日 | 水曜日、年末(12月29〜31日) 群馬県民の日(10月18日)は必ず営業。水曜日が祝日の場合は、木曜日が休場。 |
営業時間 | 9:00〜17:00 |
電話番号 | 0274-62-5439 |
駐車場 | あり |
開設年 | 1872年 |
ウェブサイト |
アクセス
観光地図

富岡製糸場の全体地図。基本的に移動は自由です。が、ガイドさんの解説付きで効率良く回った方が各場所の観光を堪能できるのでオススメです。実際に建物に入ることができるのは、「東繭倉庫」と「繰糸場」の2カ所のみ。おみやげコーナーと体験コーナーは「東繭倉庫」にあります。
観光ガイド
富岡製糸場の楽しみ方

富岡製糸場の受付所。入り口すぐそばにあるので、まずはここで入場券を購入して下さい。大人1,000円、子ども150円です。
曜日やシーズンによっては、受付所が大変混み合います。富岡製糸場周辺の様々な売店で入場券が販売されているので、そこで買って行った方が時間を短縮できると思います。
「絶対に利用した方がいい」と、もう断言したいのが、このガイドツアー。入り口から東繭倉庫に突き当たって、右側に進めば、ガイドツアーの申込所があります。富岡製糸場の右下端のところです。ツアーは9時30分〜16時くらいの間、30分ごとにスタートします。料金は1人たったの200円。「完全に自分のペースで回りたい」「日本語が聞き取れない」という人は、ガイドさんなしで音声ガイド端末(日本語、英語、フランス語、中国語、韓国語対応)を、こちらも200円でレンタルできます。

「世界遺産だから来てみたけど、歴史に関しては正直全く興味ないのよね…」という人も多いのではないでしょうか?私もかくいうその一人。そんな私を楽しませてくれたのが、ガイドツアーを担当した、このボランティアの解説員さんです。歴史初心者もリタイアしないように、軽快、平易で興味の引きそうな言葉で解説してくれました。年配の人たちいじりもお見事だった(笑)。
レポート
富岡製糸場で巡った様々な見どころを紹介していきます。
東繭倉庫

最初に訪れたのが、この東繭倉庫。入り口から見える象徴的な建物です。長さ104.4メートル、幅12.3メートルの2階建てのこの倉庫には、1フロアだけで32トンもの繭を貯蔵できるそうです。
倉庫に使っていたのは2階のみで、1階は事務所、作業所だったそうです。建築様式は木造の骨組みにレンガを積み立てるという西洋の「木骨レンガ式」を採用したそうです。
東繭倉庫の、アーチ型の入り口の上部にあるのが、このキーストーン(東置繭所要石)。キーストーンとは、簡単に言うと、この建造物全体を支える要となっている楔型の石です。富岡製糸場の竣工年である明治五年(1872年)と刻まれています。
壁一面、これでもかというくらいに付いている扉。ではなく、これは窓なんです。なんでこんなに付いているかというと答えは明快で、繭を守るため。大量に保存する繭にカビなどが生えないよう、風通しを最大限によくするための設計になっているんです。
現在は開くことがありませんが、夏は常に開放していたとか。建物に入ったら、中から裏側も見てみましょう。
鉄骨ではなく、木骨にレンガを組むという珍しい建物。木骨に使われたのは、妙義山などから伐採した杉の木で、幹周り5メートルのものもあったそう。
東繭倉庫は、建物の中に入れます。「原料科」と書かれた中には、様々な史料が展示されていました。
おみやげコーナーもこの東繭倉庫にあるので、帰りに寄って下さい。中は、古びた壁などを良い感じにライトアップして、違った雰囲気を醸し出してます。
こちらが「ぐんま黄金」。黄金色の繭です。群馬県オリジナルの「ぐんま」と、「黄繭種」という2つの品種を組み合わせることで、なんと、天然でこの黄金色を実現しているんです。
西繭倉庫

東繭倉庫の裏には西繭倉庫がありますが、工事中のため、近づくことはできませんでした。この辺りは他と比べると、あまり見どころはありません。
繰糸場

東繭倉庫に続いて訪れたのが、この「繰糸場」。こちらも中に入り、実際に使っていた繰糸機を見学することができました。いや〜、それにしても広い。
繰糸場は「トラス構造」という、当時は日本にない設計方法を採用した建物です。トラス構造とは「三角形」を基本単位にして、その集合体で設計したものです。天井を見上げると分かりますよ。
繰糸場の外観です。ガラス窓が多いのは、蚕に光を与えるためですね。
ここに現存する繰糸機は昭和40年以降に設置された自動式のもの。貴重だから手を触れちゃダメよん。
糸が絡まないように左右に振り分ける「絡交」、糸が基準よりも細い場合に別の繭を補充する指令を出す「繊度感知器」など、繰糸機の仕組みが細かく解説されています。
正直ここら辺の機械関係は疎かったので、読むよりも解説員さんの話を聞いていた方が面白かったです。1つアドバイスをすると、みんなが解説員さんの話に聞き入っている最中は、他の人が映らない写真を撮りやすいです。イヤホンがあるから、声はどこにいても聞こえることを忘れずに。
当時の女工のイメージ図。この繰糸場で技術を学び、地元に帰って指導者になるという流れがあったようですよ。そうして日本各地に技術が広まっていったわけですね。
女工館

富岡製糸場で働く工女に、器械を使った糸とりの技術を授けるためにやってきた、フランス人女教師たちの住まいが、この女工館です。
東繭倉庫と同じく、木骨レンガ式の建物です。
中には入れないので遠くから撮影。傾いた横板がいくつも並べられた「よろい戸」という形式の扉になっています。「よろい戸」は視線を遮る効果もあるらしいですが、当時は何より、直射日光を当てない目的として採用されました。
ブリュナ館

こちらはブリュナ館。生糸技術の指導、そして製糸場の設計に携わったフランス人技術者のポール・ブリューナが、家族で暮らした住居です。その坪なんと、320坪の豪邸です。
日本人の平均年俸が70円ほどだった当時、彼の年俸は9
庭には綺麗なアジサイが咲いていました。
風通しの良い、高床式で回廊風のベランダが特徴。ここでもやはり見かける「風通し」の言葉。当時はどれだけ重要だったかが分かります。
ガイドツアーの解説員さんが「見上げてみて下さい〜」と言った先には、キュートなハート型の屋根瓦が。これもフランス式なのでしょうか(笑)。
診療所

「昔の工場」と聞くと、今で言う「ブラック企業」を脊髄反射でイメージしてしまいがちですが、そんなことはなく、富岡製糸場はホワイト中のホワイト、好待遇の勤務地だったといいます。当時では珍しい日曜休日、8時間労働、年末年始と夏期の長期休業、食事、住まい完備などなど、挙げたらキリがありません。そしてその1つが医療ですね。
ここ(南西)に現存するのは、三代目の医療施設です。当初は敷地の北東に建てられていて、フランス人医師が診療を担当していました。治療費、薬代などの医療費は工場側が全て負担していたといいます。
この片倉診療所の「片倉」というのは、1940年頃から富岡製糸場を所有していた、当時日本最大級の繊維企業「片倉」から来ているものです。1987年から2005年頃まで、操業停止後した富岡製糸場を、莫大な維持費を負担しながら大切に扱ってきた片倉があったからこそ、世界遺産登録が実現したといってもいいでしょう。
寄宿舎

ガイドツアーで最後に訪れたのは、働いていた工女たちの寄宿舎です。その名も「浅間寮」と「妙義寮」。浅間山に妙義山、近くの観光スポットの名前になっているのが面白いですね。ちなみにブリュナ館の北側には「榛名寮」がありました。榛名湖の榛名ですよね。工事中とのことで、寮までは近づけません。
かぶら川

富岡製糸場に来て、まさかこんな景色を見られるとは…。施設の隣に流れている「鏑川(かぶらかわ)」です。
個人的な評価
5
「世界遺産に来たステータスだけ手に入ればそれでいいや」という想いで来た私。正直に言うと、歴史や昔の技術にほとんど興味がありませんでしたが、思いの外、楽しむことができてビックリです。それもこれも、ガイドツアーを担当している解説員さんのおかげ。富岡製糸場を知り尽くしているからこそできる分かりやすくて飽きさせないトークは本当に価値があります。
この富岡製糸場は、長年、施設を守ってきた片倉工業、当時市長の今井清二郎、同じく当時群馬県知事の小寺弘之を中心として、他にも数多くの人たちの努力があって、世界遺産に登録されるまでに至りました。ボランティアでガイドツアーを担当している解説員さんたちもそんな中の一人なんだな〜、とふと感じました。「富岡製糸場を知ってもらおう」って気持ちが十二分に伝わってきて、それが気持ち良いんですもの。
それを体験した私も、多くの人に富岡製糸場に行ってほしいと思ってしまう。みなさん、ぜひ、訪れてみて下さい。そしてガイドツアーを利用しましょう!! …あ、気になる食事なんですが、私たちは富岡製糸場の後に、めがね橋、碓氷湖に行き、その途中、横川駅そばにある「おぎのや」で名物の「峠の釜めし」を食べました。美味しいので、よければ候補に入れてみて下さーい。